支えてくれる人を攻撃する人は、なぜ最後に居場所を失うのか

1. 人は完全には一人で生きられない

まず現実。
現状、人は一人では生きられません。

誰でも、
承認、協力、ケア、情報、生活の分担を他人から受け取っています。

今日は楽しそうだね、と自分のことを認識してくれたらうれしいし、
大変そうだね。手伝うよ。と協力してくれたらありがたいし、
近所のあの道今工事中だから通れないよと聞けば明日の通勤ルートは変更しますし、
誰かが作ってくれたお惣菜で今日も夕飯にプラス1品美味しいものが食べられているわけです。

私がモラハラを経験して思ったこと。
人を支えてくれる相手を攻撃する人は、高病原性で宿主の致死率が高いウイルスのようだ、と。

細く長くうまい汁を吸えるように、生かさず殺さず宿主を利用するのではなく。です。

2. ところが、支えてくれる相手ほど雑に扱う人がいる

  • 家族だから離れないだろう
  • 配偶者だから耐えるだろう
  • 親だから世話をしてくれるだろう
  • 部下だから従うだろう

と考え、関係を無限資源のように扱う人のことです。

3. 短期的には得をする

怒れば相手が折れる。

黙れば相手が動く。

責めれば相手が謝る。

だから本人には「この方法は有効」と見えてしまいます。

気分の良さの瞬間風速だけはたぶん大きいので。

4. しかし長期的には供給源を壊す

人は、継続的に消耗させられる相手からは距離を取ろうとします。

次第に

相手は疲弊し、
期待をやめ、
情報を渡さなくなり、
最後には離れる。

つまり本人は、

相手を支配して利益を得ているつもりで、自分の生活基盤を切り崩しているのです。

5. なぜ止められないのか

このまま続けたらどうなるだろうか?の視点が弱く、
未来の損失より、
目の前の優位や不快回避を優先するからと考えます。

  • 今すぐ勝ちたい
  • 今すぐ謝らせたい
  • 今すぐ不快を消したい
  • 自分が依存している現実を認めたくない

この短期最適化が、長期的な自己破壊になる。というわけ。

6. 宿主側ができること

ここは強調したいところで、

相手をもっと上手に支えれば治る、という話ではないんですね。

むしろ関係を維持するために一方が無限に耐えると、
破壊的な方法が成功体験として固定される。

必要なのは説得より、境界線と撤退可能性。

結論

自分を支える人を攻撃する行動は、強さではありません。
目先の優位と引き換えに、自分の信用、生活、居場所を失う行動です。

他人に依存すること自体が問題なのではない。
依存している事実を認めず、支えてくれる相手を消耗品として扱うことが問題なのです。

宿主を破壊する関係は、宿主が耐え続ける限り延命します。
宿主が逃げた時、初めて破綻が本人にも見えるだけです。

だから本人は「急に捨てられた」「裏切られた」と感じます。
しかし実際には、関係はずっと前から壊れ始めていたのです。

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