子どもを親の“やり直し人生”にしないために
はじめに
子どもができると、
「こう育ってほしい」
「こうなってほしい」
「将来困らないようにしてあげたい」
と思うことがあります。
それ自体は、親として自然なことだと思います。
でも、その願いが強くなりすぎると、
子どもの人生に、親自身の後悔や不安を乗せ始める
ことがあります。
私の元夫は、子どもに対して、
「○○すれば背が伸びる」
「△△すれば賢くなる」
「こうした方がいい」
「あれはやめた方がいい」
と、かなり細かく口を出す人でした。
言っている内容の中には、もっともらしいものもありました。
でも、あまりにも多い。
しかも、本人が日々実践しているわけでもない。
私はだんだん、
「それ全部、自分の人生でやってから言ってくれない?」
と思うようになりました。
子どもに「こうなってほしい」は、どこまで親の願いなのか
背が高くなってほしい。
賢くなってほしい。
運動ができるようになってほしい。
失敗しないでほしい。
将来困らないでほしい。
親が子どもの幸せを願うこと自体は、悪いことではありません。
ただ、
その子本人が何を望んでいるのかより、
親が何を恐れているのか
が前に出てくると、少し話が変わります。
子どもは、
親が達成できなかったことを代わりに達成するために生きているわけではありません。
親の不安を解消するためでもありません。
親の「こうあるべき」を完成させるためでもない。
ひとりの人間として、自分の人生を生きていく存在です。
自分がやらなかったことを、子どもには求める
これは、子育てでよく起こることなのかもしれません。
自分は勉強しなかった。
でも子どもには、
「もっと勉強しなさい」と言う。
自分は運動しなかった。
でも子どもには、
「運動した方がいい」と言う。
自分は挑戦しなかった。
でも子どもには、
「努力が足りない」と言う。
もちろん、
「自分が失敗したからこそ、子どもには同じ思いをしてほしくない」
という気持ちもあるでしょう。
それは理解できます。
でも、
自分の後悔を、子どもの義務に変えていいわけではありません。
経験を伝えることと、
子どもの人生を操作することは別です。
「教える」と「支配する」は同じではない
親は、子どもより経験があります。
危険なことを止める。
健康に関わることを教える。
生活習慣を整える。
こういう役割は当然あります。
だから、
「何も言わず、全部好きにさせればいい」
という話でもありません。
でも、
安全のために必要な介入
と、
親が安心するための過剰な介入
は分けて考えた方がいいと思います。
たとえば、
「道路に飛び出さないで」は安全のための制止です。
一方で、
「もっとこう考えなさい」
「こういう性格になりなさい」
「こういう子でいなさい」
まで細かく決め始めると、
それは子どもの成長を助けるというより、
親の理想像に近づける作業
になっていきます。
私がしんどかったのは、「口出しの多さ」だった
元夫は、子どもに対してとにかく細かく指示を出す人でした。
何を食べるか。
どう遊ぶか。
どう泣くか。
どう成長するか。
どういう人間になってほしいか。
ひとつひとつ取り上げれば、
「子どものことを考えている」
ように見えるものもあります。
でも、量が多すぎると、
子どもの側には、
「自分のままでいると何か言われる」
という空気が残ります。
そして周りの大人にも、
「また何か言われるかもしれない」
という緊張が生まれます。
私はだんだん、
子どもを育てているというより、誰かの理想像を実装させられている
ような感覚になっていました。
ありのままの子どもを見ること
今の私は、
子どもに対して、
「こうなってほしい」
より、
「この子は今、どういう子なんだろう」
をなるべく見るようにしています。
慎重な子。
にぎやかな子。
人前が好きな子。
ひとり遊びが好きな子。
運動が得意な子。
工作が苦手な子。
それぞれ違います。
親ができるのは、
その子の特徴を消すことではなく、
その子が困りすぎないように環境を整えること
だと思っています。
苦手なことを練習することはある。
必要なルールを教えることもある。
でも、
「親の理想に近づける」ことを育児の目的にはしたくない。
内面的な課題は、自分の人生で向き合えばいい
親自身にも、
できなかったこと。
悔しかったこと。
コンプレックス。
不安。
たくさんあると思います。
でも、それはまず、
自分の人生の課題として扱うものです。
自信がないなら、自分で少しずつ育てればいい。
勉強したかったなら、大人になってからでも学べる。
人付き合いが苦手なら、自分で向き合えばいい。
過去にできなかったことを全部やり直すことはできません。
それでも、
内面的なことなら、大人になってから見直せることはたくさんあります。
だから私は思います。
自分の未完了課題を、子どもの人生に転送しない。
ここはかなり大事です。
子どもは、親のリベンジ戦ではない
親は、
「この子のため」と言いながら、
自分の不安を子どもに預けてしまうことがあります。
「将来困らないように」
「失敗しないように」
「普通に育つように」
どれも善意に見える。
でも、
その子本人が息苦しくなっているなら、
一度立ち止まった方がいい。
それは本当に、子どものためなのか。
それとも、
親自身が安心したいだけなのか。
おわりに
子どもに何かを教えること。
導くこと。
助けること。
それは親の役割です。
でも、
子どもの人生を代わりに設計することまでは、親の仕事ではありません。
自分ができなかったこと。
自分が不安だったこと。
自分が満たされなかったこと。
それを子どもに背負わせるのではなく、
まず自分の人生で扱う。
子どもは、
親のやり直し人生ではありません。
ひとりの人間として、自分の人生を始めている途中です。
そのことを忘れずにいたいと思っています。
旅人が世界に託したひとしずくの力が、小瓶となりモラリアの地に届く。
量は問われない。小瓶はそっと物語の糧となり、時折、住人へ不思議な変化をもたらす。

