子どもは「買っていいよ」で育つのか

しつけって、昔は「我慢で育つ」だった。
でも、本当にそれだけが正解だろうか。

貧乏が正義?

「うちは貧乏だから」
そういって育てるつもりの人がいた。

元夫その人である。

意図はわかる。
節度、忍耐、努力。

でも同時に思った。

知らないものは賢く使えない
って現実もあるよね、と。

育児あるあるな光景

スーパーで寝転がりながら
「コレ買って!!!」
とギャン泣きするちびっ子。

子供好きな他人の私の立場からしたら
かわいいしかない癒やしイベント。

ただし当事者となれば全くの別の話。
恥ずかしさやら焦りやらでいっぱい。

どうしよう、まだあとパン売り場も見たかったのに…
と鮮魚のように暴れる子供を小脇に抱えて退店。

親にとっては戦場、他人にとっては平和のショーケース。

「禁止」のコントロール→「選択」の練習をさせてみることに

予算を決めて、その範囲で自由。
小さな資本主義ごっこ。

「帰宅後のわたしの気持ち」「今この瞬間の買い出しを快適にする」投資なんだ
と自分に言い聞かせながら。

子どもの態度はどう変わった?

それが拍子抜けするほど大人しくなった。

買い物行きたくない!とも言わず、
なんなら「今日は何にしようかな」も楽しそうである。

毎回真剣にお菓子を悩む姿はかわいくもありおもしろくもあり、
それはそれで時間はかかるものの毎日怒るストレスからは解放された。

生活費は…わたしのデザート代を削る方向で。太るの防止にもいい気がしてきた。

子どもが「欲しい」と言えるのは健全だ。
問題は「なんでも買う」じゃなく「考えて買う」だと思った。

結論

我慢だけでは自制心は育たない。

ボールを投げられただけでサッカーが上手くならないのと同じで、

自由は、練習して上手くなる。

だから小さな買い物は、
「甘やかし」じゃなく「未来の選択力の練習」と割り切ることにしている。

今回のオチ

ちなみに…
イオンに行くと、毎回サーティワンアイスクリームを買わされる。

家計的には負けイベントだけど、楽しそうだからよし。

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