はじめに|嘘でしょ?と思ったあの日
ある日、夫から突然言われた言葉に、
私は言葉を失いました。

子どものDNA鑑定、してみたいんだけど
浮気の“う”の字も存在しない平穏な家庭で、
どうしてこんな言葉が飛び出すのか――。
このエピソードは、
単なるトンデモ発言ではありません。
家庭内に潜む
信頼の崩壊
無責任な疑い
そして
外野からのわかった風なコメント
による二次被害を含んでいます。
疑いに理由はなかった
それが一番怖い。
何か思い当たることはある?

いいえ、全くありません。
理由はないけど、
思いついたから言ってみただけ。
後に、夫はそう話しました。
浮気の証拠があったわけでもなく、
ただの気まぐれやなんとなくで投げられた一言。
それがどれだけ人を深く傷つけるか、
想像すらできなかったのでしょう。
ChatGPTとのやり取りでわかったこと
AIにこの話をしたとき
「そう、それそれ!」と思わず声に出たのがこの一言。
理屈の通らない要求に応じさせられる感覚は、
頭の中に土足にで入り込まれて、
あちこち引っ掻き回されるような不快感
にちかいですよね。
私にとって夫の言動は、
理由もわからず押し付けられる荷物を、
何の説明もなく片付けさせられるような状態でした。
自分の気分であれこれ押し付けておいて、
こっちが混乱すればなんでできないの?
この理不尽さに、
無力感と怒りが募っていきました。
外野の「私なら〜」のコメントの暴力性
こういう話をすると、
必ずと言っていいほど現れるのが、
- 「うちなら笑って済ませます〜☺️」
- 「私なら、ブランド品を買わせて終わりにする😎」
- 「旦那さんが忘れてくれるなら、もういいんじゃない?」
などの、
「良識の仮面を被った第三者」のコメント。
彼女らの多くは、
自分が安全な場所にいるからこそ、
現実の重みも知らずに軽い口調で語ります。
その無責任さこそが、
「被害者の怒る権利」をさらに奪うのです。
怒っている自分が間違っている?と思わせてしまう社会
人は困ったとき、まず検索しませんか?
私もそうです。
でも、出てくるのは
気にしすぎ
もう関わらない方がいいよ
といった、
それっぽく見えるけど実は無責任なアドバイス
=クソバイスばかり。
そんな検索結果の山の中に、
ひとつでも本物の体験があれば
救われる人がいるかもしれない。
だから私は、この記事を書くことにしました。
まとめ|浮気なんかしてないのに。は言い訳じゃない
浮気していない人が「してない」と言うのは
言い訳じゃなくて真実の主張です。
疑った側に説明責任がある
という当たり前のことすら、
感情と支配が優先される関係では通じません。
このエピソードが、誰かの
やっぱり怒ってよかったんだ
という後押しになりますように。