家事や育児を少しやったあとに、
• 俺だってやってる
• ありがとうは?
• 感謝が足りない
• せっかくやったのに
という空気を出す人がいます。
一見、そこまでひどくないようにも見えます。
だって実際、何かはやっているから。
ゼロではないから。
でも現場感覚で言うと、これ、かなりだるい。
なぜかというと、作業のたびに感情の後処理が発生するからです。
家庭運営において本当にしんどいのは、手が足りないことだけではありません。
やった後に機嫌と承認まで処理しなければならないこと。
これが地味にきつい。
まず、「ありがとう待ち」とは何か
ここで言う「ありがとう待ち」は、単にお礼を言ってほしい人のことではありません。
人として何かしてもらったら、ありがとうを言うのは普通です。
そこは別に悪くない。
問題なのは、
• やるたびに見返りとして感謝を要求する
• 感謝が薄いと不機嫌になる
• お礼をもらって初めて自分の行動が成立する
• 家事育児を共同運営ではなく「サービス提供」として扱う
こういうタイプです。
つまり、
家事育児をしたこと自体では完了していないんですよね。
そのあとに
承認される
褒められる
気分よく終わる
まで含めてワンセットになってる。
ここが、現場にとっては非常に面倒です。
作業が終わっても、工程が終わらない
たとえば夫が皿を洗ったとします。
普通なら、
• 皿が洗われた
• 終了
です。
でも「ありがとう待ち」夫だと、
• 皿を洗った
• こっちが反応する
• 十分感謝したか判定される
• 反応が薄いと空気が悪くなる
• 次回の協力意欲にも影響する
となる。
つまり、皿洗いという工程のあとに
情緒処理工程 が追加されるんです。
これは地味に重い。
工場で言えば、機械が一仕事するたびに
「今の作業どうだった? 褒めて?」
と聞いてくるようなものです。
うるさい。回らん。
妻が「受益者」ではなく「承認者」になる
本来、共同生活での家事育児は
家の運営のための仕事 です。
でも「ありがとう待ち」夫の中では、なぜか
自分が妻のために特別にやってあげたこと
になっている。
すると妻は、
• 同じ現場で働く人
ではなく
• サービスを受けた客
になってしまう。
でも実際には、妻は客じゃない。
同じく回してる側です。
ここがズレると何が起きるか。
夫は
感謝される側
として振る舞い、
妻は
感謝を示す義務のある側
に追いやられる。
つまり、家事育児を通じて
上下関係が発生するんですよね。
これが嫌なんです。
ただでさえ疲れてる現場で、なんで毎回接客までせなあかんねん、となる。
感謝の要求は、実質的に追加業務
ありがとう待ちの人って、本人は
少し感謝してほしいだけ
くらいに思ってることがあります。
でも受ける側からすると違います。
• 言葉を選ぶ
• タイミングを見て伝える
• 不機嫌にならない程度に持ち上げる
• 薄い反応をしないよう気をつける
これ全部、追加業務です。
しかも、疲れている時ほどこの作業はしんどい。
皿洗いしてくれたことはありがたい。
でもその直後に、こちらが無表情で
助かった
とだけ言ったら不満げ。
もっと
すごいね、助かった、ありがとう、本当にありがたい
くらい欲しそう。
いや、それ、皿洗い一回に対する要求熱量として重すぎるだろ、なんですよ。
雑に言うと、
ありがとう待ちの夫は、家事の後ろに毎回プレゼン資料を要求してくる。
だるいに決まってます。
継続性が、感謝の量に依存してしまう
これがかなり危険です。
ありがとう待ちの人は、無意識に
• 感謝された→ またやろう
• 感謝が足りない→ もうやらない
• 認められない→ 俺ばっかり損
みたいな運用になりがちです。
つまり、行動の継続が
責任感
ではなく
気分と承認
に依存している。
家庭運営でこれはかなり不安定です。
必要なのは、
誰かが褒めるからやる
ではなく
必要だからやる
なんですよね。
子どもの風呂も、皿洗いも、寝かしつけも、
本来は家の機能維持のための業務です。
そこに毎回
俺のモチベーションを上げてくれ
が挟まると、現場は非常に回しにくい。
妻側の「感謝」も摩耗していく
最初のうちは、ありがとうって言えるんです。
むしろちゃんと伝える人も多い。
でも、毎回請求されている感じが出てくると、感謝って自然発生しにくくなります。
なぜなら、感謝って本来
自発的に湧くもの だからです。
• 助かったな
• ありがたいな
• うれしいな
が先にある。
でもありがとう待ち夫がいると、
• 言わないと機嫌悪くなる
• ちゃんと持ち上げないと面倒
• 反応が薄いと不満そう
となるので、だんだん
感謝ではなく
義務になる。
そうなると、妻の中で起きていることは
感謝の枯渇
ではなく
感謝の強制による摩耗
なんですよね。
結果として、ますます自然なお礼は減る。
夫はさらに不満になる。
完全に悪循環です。
ありがとう待ちは、じぶんから利益を減らしている
ここがいちばん面白いところです。
夫がたとえば、家事育児で本来100の価値を出したとします。
でもそのあとに
• 感謝要求
• 不機嫌
• 恩着せ
• 俺だってやってるアピール
が乗ると、そこから価値が減っていく。
たとえば、
• 作業の価値 +100
• 妻の情緒処理コスト -30
• 管理コスト -20
• 空気悪化 -20
• 次回以降のやる気ダメージ -10
で、純利益20とかになる。
つまり、
自分で自分の売上を削ってるんです。
本人は
こんなにやったのに!と思ってるけど。
でも現場からすると
いや、その後の請求が重すぎて利益残ってないが?
なんですよね。
本当に価値のある人は、やったあと静か
これはかなり大事です。
本当に家庭で助かる人って、
• さらっとやる
• 終わったあと静か
• 別に褒め待ちしない
• 必要なら共有だけする
• 家の空気も悪くしない
んですよ。
たとえば、
• お風呂入れといたよ
• 食器片づけたよ
• 明日の準備しといた
これで終わる。
このタイプは、現場にとってめちゃくちゃ助かる。
なぜなら、作業がそのまま利益になるからです。
余計な請求がない。
承認を強制しない。
家の空気も削らない。
つまり、純利益が高い。
では感謝は不要なのか
不要ではないです。
そこは誤解しないほうがいい。
家庭でも、
• ありがとう
• 助かった
• ありがたい
は普通にあったほうがいい。
むしろあったほうがいい。
でもそれは、
請求されるものではなく、自然に循環するもの
なんですよね。
本当に共同運営できている家庭では、
• やってもらったらありがとう
• 自分もやる
• またありがとう
がわりと自然に回る。
問題は、片方だけが
俺の分のありがとう、まだ?
みたいな会計処理を始めること。
それをやると、感謝が通貨になって腐ります。
結論
「ありがとう待ち」の夫が現場の負担になるのは、
作業そのものよりも
作業後に承認処理を要求するからです。
つまり問題は家事育児の量だけではありません。
利益率です。
• やる
• 終わる
• 空気が悪くならない
• 感謝を強制しない
ここまで含めて初めて、家庭にとって価値が高い。
雑に一言でいうと、
ありがとう待ち夫は、売上のたびに手数料を引いてくる。
そりゃ現場はしんどいです。
旅人が世界に託したひとしずくの力が、小瓶となりモラリアの地に届く。
量は問われない。小瓶はそっと物語の糧となり、時折、住人へ不思議な変化をもたらす。
