夫は言います。
• 俺だって手伝ってる
• 風呂も入れてる
• オムツも替える
• 皿洗いもしてる
• 休日は子ども見てる
外から見ると、たしかにゼロではない。
なのに妻はしんどい。
不満もある。
感謝が足りないように見えることすらある。
すると夫は思います。
こんなにやってるのに、なんで?
でも現場の答えは、わりと単純です。
「手伝ってる」ことと、「負担が減っている」ことは別だから。
ここを分けないと、ずっと噛み合いません。
手伝いはある。でも責任は妻に残っている
たとえば夫が
• 風呂を入れる
• オムツを替える
• 皿を洗う
をやったとします。
それ自体はプラスです。
でも、妻がまだ
• 何をいつやるか考える
• 足りないものに気づく
• 子どもの機嫌を見る
• 次の工程を組む
• 夫に声をかける
• 終わったか確認する
を全部やっていたら、総責任者は妻のままです。
つまり夫は作業者。
妻は管理者。
しんどいのは、作業だけじゃなくて
ずっと頭を使い続けること なので、ここが減ってないとラクになりません。
雑に言うと、
手は借りたけど、脳みそは休めてないんです。
一部だけ切り取るから、流れは止まったまま
家庭って、一個ずつバラバラの作業でできてるように見えて、実際は全部つながってます。
たとえば夕方。
• お迎え
• 帰宅
• 手洗い
• 「ママお腹すいた〜」対応
• 夕飯
• 食後片づけ
• 風呂
• 着替え
• 歯磨き
• 寝かしつけ
この流れの中で、例えば夫が
「風呂だけやる」
とします。
それはありがたい。
でもその後に
• 風呂前の着替え準備
• 風呂後の保湿
• パジャマ用意
• ドライヤー
• 次の、寝る流れへの接続
が全部妻側に落ちると、結局しんどさは残るんですよね。
つまり、工程の一部だけ切り取っても、全体の詰まりは消えないことがあるんです。
だから妻は
「やってくれてるのはわかる。でもラクじゃない」
頼まないと動かない
これもかなり大きいです。
• 言われたらやる
• 頼まれたら手伝う
• 何かあれば言って
一見いい人っぽい。
でも家庭では微妙です。
なぜなら、頼む側には毎回
• 状況を見る
• 今何が必要か判断する
• どこを頼むか考える
• タイミングを見て声をかける
が発生するから。
つまり、頼む時点でもう仕事がある。
これが積み重なると、妻はだんだん
頼むのもしんどい
になります。
夫から見ると
「言ってくれればやるのに」
でも妻から見ると
「言うまでがもう仕事なんだが?」
というわけ。
品質が安定しない
やってくれる。
でも毎回ちょっと怪しい。
• 着替えさせたが肌着忘れてる
• 食器が地味に洗いきれてない
• 子どもの食事が偏ってる
• 登園(登校)準備物、忘れ物してる
• 寝かしつけしたはずなのに逆に目が覚めている
こうなると妻は、
• 任せきれない
• 結局確認する
• 後で手直しする
• ミスを前提に保険をかける
ことになります。
夫は「やった」と思っている。
でも妻は「終わった」と思えない。
この差、地味に大きいです。
作業そのものは移管したけど、安心感までは移管してないんですよね。
ありがとう待ちが発生する
シリーズの他の話ともつながりますが、
やったあとに
• 俺だってやってる
• ありがとうは?
• 助かったって言って
• 感謝が足りない
が出ると、一気にしんどくなります。
なぜなら、家事育児のあとに
情緒の接客 が追加されるから。
ただでさえ忙しいのに、
• やってもらったことに感謝し
• 相手の機嫌を見て
• 十分持ち上げて
• 不満が出ないよう整える
これ、もう追加業務です。
結果として、妻の中では
助けてもらった感よりまた請求書きたな感が強くなりますね。
休みの日しかやらない
休日だけ育児して
「俺だって見てる」と言う人もいます。
でも平日に妻が背負ってるのは、
• 送迎
• 発熱対応
• 夕方の家事詰まり対応
• 翌日の準備
• 保育園幼稚園の細かいタスク
• 生活全体の接続
です。
休日に公園へ連れて行くことはもちろんプラス。
でも平日の火消しを背負ってないなら、
妻のしんどさの本体には届いてないことがある。
ここでズレるんですよね。
夫は
自分はかなりやってると思う。
妻は
いや、重いところは結局こっちだがと思う。
どっちも主観としては本当。
でも、見てる工程が違う。
妻がしんどいのは、量より「中断されなさ」の差でもある
夫が少し手伝っていても、妻がしんどい理由の一つに
中断されなさの差 があります。
妻はたいてい、
• 子どもに呼ばれる
• 同時進行が多い
• 途中で予定変更が入る
• 先のことまで考えている
• 完全オフになりにくい
状態で動いています。
夫が家事育児していても、
• 自分の担当だけで完結している
• その後は休める
• 妻が全体を見ている前提がある
と、体感疲労は全然違う。
だから夫が
同じくらいやってるつもり
でも、妻はまだしんどい。
ここは量だけ比べてもわかりません。
「手伝ってる」時点で、まだ他人事の空気がある
実はここがいちばん大きいかもしれません。
「手伝う」という言葉の中には、どこか
本来の担当は別にいる
というニュアンスがあります。
つまり、
• 主担当は妻
• 夫は補助
という構図。
でも家庭って、本来そうじゃない。
共同運営です。
ここに夫自身が気づいてないと、いくら作業量が増えても
妻からすると
補助者が少し増えただけ
に見えることがある。
本当にラクになるのは、
• 自分の担当を持つ
• 自分で気づく
• 自分で終わらせる
• 自分で責任を持つ
ところまで行った時です。
じゃあ、どんな夫だと妻はラクになるのか
たぶんこういう人です。
• 頼まなくても動く
• 一工程をまるごと引き取る
• 継続してやる
• 品質が安定している
• 感謝を請求しない
• 全体の流れを見ている
• 妻の脳みその負担を減らす
つまり、
「手伝う人」ではなく、「担う人」。
ここまで行くと、妻は初めて
あ、私ひとりで回してない
と思えます。
結論
「家事育児は手伝ってる」のに妻がしんどいのは、
夫が何もしていないからではありません。
手伝いが、家庭のしんどさの本体に届いていないからです。
• 作業は増えた
• でも責任は残る
• 指示出しも必要
• 品質確認も必要
• 感謝処理まで必要
これでは、そりゃしんどい。
雑に一言でいうと、
「手伝ってる」のにしんどいのは、補助は増えたが総責任者が降りられていないからです。
「ありがとう待ち」の夫は、なぜ現場の負担になるのか
旅人が世界に託したひとしずくの力が、小瓶となりモラリアの地に届く。
量は問われない。小瓶はそっと物語の糧となり、時折、住人へ不思議な変化をもたらす。
