モラハラ夫はこうして作られた:親子関係と家庭環境のリアル

はじめに

自己愛性パーソナリティ=モラハラ気質は、
ある日突然生まれるわけではありません。

家庭環境、親子関係、
そして“愛情”の名を借りたコントロール。

これは、
モラハラ夫の人格がどう形成されていったのかを、
実際のエピソードを交えてたどる記事です。

「意味がないから泣くな」と幼い子に言い続ける父親

子どもがまだ1〜2歳だった頃。
転んで泣いたり、
眠くてぐずったりすると、
夫は決まってこう言っていました。

夫

泣いても意味ないぞ。泣くな。

あれ?と思いました。
子どもが泣くのは当然のこと。

痛い・悲しい・眠い・怖い…
そのすべてを言葉で伝えられないからこそ、
泣くことで表現しているのに。

感情を真っ向から否定する言葉を、
繰り返し聞かされて育ったらどうなるのか。

私が読んだ書籍の中には、


自己愛性パーソナリティの人は、
親に本来の自分(弱さや怒り、依存)を否定されて育った

と言う説が紹介されていました。

まさにこれだ…とゾッとした瞬間でした。

「俺は昔、かわいいって言われて育った」

夫がたまに自慢げに言っていたことがあります。

夫

俺は子供のとき、

近所でも可愛いって評判だったんだ

正直、ちょっと引きました。

子どもがかわいいのは当たり前。

むしろそれを特別なことのように語るのは、

かわいがられていたこと以外にアイデンティティがない
ようにも聞こえました。

しかもそれを、あえて私にアピールしてくる意味とは?

まるで俺は認められてきた人間なんだと、
アピールをしたかったかのような言い方でした。

子どもを“所有物”として甘やかす義母

義母は、息子(=夫)にとても甘い人でした。

それ自体は、よくある話かもしれません。
けれど、甘やかす尊重するは別物です。

里帰り出産前のこと。

義母
義母

これから大変だけど頑張ってきてね。

自分のために、何か買いなさい。

と、私に現金を手渡してくれました

ありがたく受け取ったその瞬間、

夫が横からサッとそのお金を奪い取り、

夫

贅沢させるな。

生活費は俺の担当なんだから

と言い放ったのです。

…いやいや、今、私に渡してましたよね?

しかもそれを目の前で見ていた義母は、
何も言いませんでした。

私の母なら
何してるの!?と叱ったと思います。

けれど、
義母はただ黙って笑っているだけ。

息子が何をしても可愛い

という無責任な甘やかしは、こうして続いていきました。

アレルギー持ちの嫁が食べられない、息子の好物を差し入れる

義母はよく、夫の好物を差し入れしてくれました。
ただ私は、ある食材にアレルギーがあり、毎回

わたし
わたし

ごめんなさい、

それ食べられないんです

と伝えていたのに、それでもしょっちゅう渡してくる

ある日、
私が不在の間に義実家で食事会が開かれたようで

帰宅すると、

夫

(わたし)の分も持って帰ってきたよ

タッパーの中には…
ぐちゃぐちゃに詰め込まれた残り物のような何かが。

わたし
わたし

…これを、

わざわざ残してくれたってこと?

と聞いても返ってくるのは曖昧な笑いだけ。

嫁は配慮されない存在であるという前提が、
そこには見え隠れしていました。

「数十円の差」で家の空気を壊す義父

義父は、常に節約が正義の人でした。

ある日、買い物から帰ってきた義母に向かって、
こんな言葉を吐いたのを覚えています。

義父
義父

これいくらだったの?

〇〇ストアならもっと安かったのに。

もったいない!

差額は、たった数十円。

でもそれだけで、家の空気は凍りつきました。

私もその場にいたのですが、

嫁の前でそんなこと言って大丈夫!?
と心の中で悲鳴をあげていました。

こういう言動が日常的にあると、
家庭は常に

だれかの評価や否定が飛んでくる場所
になります。

謎に語りだす義父の育児論

子どもが生まれてから、
義父はたびたび育児について語ってきました。

義父
義父

最近は〇〇がいいらしいぞ

義父
義父

昔は△△だったけど

いや、ありがたいんですけどね。
でも私は毎日育児関連の情報をネットでチェックしているし、

あなたが子育てしてたのは昭和の話じゃないですか…。

しかも義父世代って、

あまり育児に関わってこなかったのでは…?
と心の中でツッコミながら、

表面上は、
「そうなんですね〜」
と愛想笑いするのが関の山でした。

モラハラ夫の「人格」はこうしてつくられる

自己愛性パーソナリティの人が持つ特徴――

  • 弱さを見せられない
  • 感情を抑圧する
  • 他者からの賞賛に過度に依存する
  • 他人を自分の道具のように扱う

これらの性質は、多くの場合、
「家庭」という原点で育まれています。

親に認められたくて理想の自分を演じ続けた子どもは、
本来の自分を見失い、
やがて他人をコントロールすることで安心を得るようになる

そんな生き残り戦略としての人格形成。
その結果がモラハラ夫だったのかもしれません。

おわりに:モラハラ加害者は「被害者の顔」をしていることがある

モラハラするなんて最低だ

そう思っていた私が、モラハラ夫の過去を知ったとき、
初めて気づいたことがあります。

加害者になる人の中には、
かつて自分の感情を否定され続けた被害者
だった人がいるということ。

それでも、被害の連鎖は止めなければいけません。

私たちはその連鎖を断ち切る世代として、
今ここに立っているのです。

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