突然だけど、
わたしは子どもを「神」だと思って育てている。
ここで「うわ、スピっぽ……」と引いた人、
正直に手をあげて。今なら許す。(誰目線かは聞かないでほしい。)
もちろん、
「神さまのいうとおり方式で全部従う!」みたいな話ではない。
そんなもんは育児放棄でしかない。
ここで言ってる“神”はもっと文化寄りの話。
まず前提をそろえたい
「ゴールデンカムイ」を知っている前提で話すね。
知らない人はググって。
面白いし、勉強にもなるから。
作中にアイヌ文化がたくさん出てきて、その中でも有名なのが
熊送り(イオマンテ)という儀式。
雑に言うと:
現世に熊の姿で遊びに来た神様(カムイ)を、
できる限りもてなして、
「まぁまぁ悪くなかったよね?うちの現世」
と納得していただいた上で
天界へお返しする儀式。
この「姿を借りて現世に来て、あるべき場所へ送り返す」という価値観、
私の子育て感覚と妙に相性が良い。
一方わたしの子育て観
わたしの長期目標はシンプルだ。
将来自力で生きていけるようにしてね。
私が一生面倒みるとか無理だからね?
だから日々のお世話をし、
世の中のルールを教え、
安全に社会というジャングルへ送り出す準備をしている。
つまり“しかるべき場所へ帰っていく存在”として扱う。
そう考えると 子ども=カムイ説 はわりと筋が通る。
彼らの“ありのまま”を尊重しながら、
でも社会の中で人間として機能できるように育てる。
この二つを行ったり来たりするのが親業なんだと思う。
逆に、やらないこと
カムイにやったらバチが当たりそうなことはしない。
- 支配して思いどおりに動かそうとする
- 子の出来を自分の作品のように扱う
- 他の誰かと比較する
- 親の価値観でジャッジして固定化する
そういうの全部、魂が濁るやつ。
わたしは“濁ったソウルジェムの魔女化ルート”を子に踏ませたくない。
それだけ。
最後に言いたいこと
わたしもまだ子育ての途中だけど、これだけは言わせてほしい。
親だからって
「ちゃんとした子に育てなきゃ」
「失敗させちゃいけない」
みたいな呪いを背負わされすぎてない?
もっと子どもの“成長していく力”そのものを信じていいと思う。
だって、あなた自身そうでしょう。
子ども時代はそこそこ適当で、失敗だらけで、変なとこ抜けてたのに、
今はこうして社会で生きてる。
人間には、本来、育っていく力が備わってる。
親が全部コントロールしなくても、勝手に伸びていく部分はちゃんとある。
だから、カムイ扱いくらいでちょうどいい。
尊重して、送り出す準備だけして、あとはその子のペースで育つに任せる。
それで十分なんだと思う。
旅人が世界に託したひとしずくの力が、小瓶となりモラリアの地に届く。
量は問われない。小瓶はそっと物語の糧となり、時折、住人へ不思議な変化をもたらす。

