みんなが言う“普通”に疲れた
子どもには“普通の家庭”で育ってほしい
誰かがそう言ったとき、胸の奥がずしんと痛んだ。
たしかに私は「普通」じゃない選択をしようとしている。
でも、「普通」ってなんだろう?
父親がいて、母親がいて、笑顔があって――
それなら、
父親がいても笑えなかった我が家は、普通だったの?
“普通”よりも大事なもの
長男は、父親がいない夜でも笑っている。
ごはんを食べて、テレビを見て、弟と遊んで、ぐっすり眠る。
大声を出されることもない。
ギャン泣きに舌打ちされることもない。
彼の中で、安心して過ごせる毎日が、ちゃんと根を張っていってる。
それは
「普通」よりずっと大事なことだと思った。
“幸せのかたち”はひとつじゃない
家族のかたちはいろいろある。
私の家も、
いびつなところから出発したかもしれない。
でも、曲がりなりにも進んでる。
私の人生の中で、「今」が一番誇らしい。
誰に笑われたっていい。
私たちは、私たちのペースで、“幸せ”に近づいている。
それが、私の信じる「ふつう」だ。
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